でんしゃがはしる

『ピー、うみへいく』

この絵本は絶版で、現在入手困難です。以下の文章は付録に掲載された、山本忠敬自身の解説です。

画家のことば「ピー君に逢いに」

山本忠敬
ピーうみへいく.jpg

僕がピー君に初めて逢ったのは、大昔の昭和三十一年の春でした。横浜港の絵を描くために取材に行った時で、港の大桟橋だけがやっと一般に開放されたばかりの頃です。というのは、当時はまだ横浜港すべてが、進駐軍の米軍専用だったのです。民間に返されたただ一つの桟橋、大桟橋の入口には手荷物検査所なんていう、衛兵所みたいな小屋があって、ちょっとおっかない感じでした。大桟橋の入口の手前の右側のはしけがたくさんもやってある場所に、ピー君が二そうの仲間といました。
ピー君に港の中を案内してもらいました。外国船がたくさん休んでいて、海の匂いがしました。その後、時々船と海の匂いが恋しくなるとピー君に逢いに行きましたが、仕事が忙しくなると、ついとはなしにピー君のことは忘れてしまい、十年が過ぎてしまいました。
十年ぶりのピー君との再会は、この絵本を描くための取材の時でした。編集の松居さん、作家の瀬田さんと僕の三人、松居さんの車で横浜港へ来ました。港は全部解放され、明るくなり、すっかり変わりましたが、ピー君は十年前と同じ場所におり、衣換えをして、いかにも遊覧ボートらしいスタイルとなり、仲間も十数そうに増えていました。三人でピー君に港の中を案内してもらいました。やっぱり港は良いなあ、船と海の匂いは、自由の味がしました。そのあと三カ月、この本の絵を描いている間、またぞろ一人でピー君通い、そして絵ができあがると、なんとはなしにピー君のことは忘れてしまって二十年がたちました。
作家の瀬田さんはピー君を残して他界されてしまい残念です。編集の松居さんは福音館の会長、僕は相も変わらず昔のまま。二十年ぶりにピー君に逢いに行こうかな!海の匂いに変わりはないかな?海と船の自由の味が外食産業のファミリー・レストランの味になっていたらいやだなと思ったりして。あの場所にピー君はいるかな?

「こどものとも(年中向き)6 ピー、うみへいく 折り込みふろく 1986 ”絵本のたのしみ”」より

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