でんしゃがはしる

『むかしのしょうぼう いまのしょうぼう』

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※この絵本は絶版で、現在入手困難です。以下の文章は付録に掲載された、山本忠敬自身の取材記です。
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いわずもがなの絵本の解説

山本忠敬

 

江戸時代の消防 P2〜P5

日本で現代のような庶民のための消防組織のできたのは1718年将軍吉宗のときで、いろは48組と、深川、本所の16組の町火消が江戸の町に誕生したのがはじまり。それ以前には1629年、幕府要地の消防に外様大名の課役で大名火消ができ、1650年に江戸城の消防に幕府直属の旗本によって定火消(じょうひけし)の組織ができていた。がいずれも幕府のためだけの消防をする武家火消でした。

ひのみやぐら
 1658年に定火消の火消屋敷の屋根の上に建てられたのがはじめで、やぐらの高さは9m、常時2人の見張りがいて、火事を発見すると、かね(半鐘)と太鼓をならして知らせた。1723年には町火消のひのみやぐらや、ひのみばしごが、町の木戸木戸に建てられたが、高さは定火消のやぐらより低く、見張り番はおかず、太鼓もなく、かねのみが備えてあった。

まとい
 火消の組々の目印、シンボル。まとい持ちは火事場の家の屋根で、これを振り立てて火消たちの士気を鼓舞した。もともとは戦国時代に侍大将の目印に用いたもので、馬印といった。秀吉の”千成びょうたん”がそれです。この絵本にでてくる白塗りのまといになったのは、1791年にまといの華美禁止のお触れがでてからです。また馬簾(ばれん・まといの飾りで、和紙でできている)に墨線がはいったのは、明治になってから。扉の絵は町火消いろは48組のうちのよ組のまとい。P2の大きいのは、り組。遠くを走っているのは、い組のまといで、まといの上の丸はけしの実を、下の角は枡を形どったもので、”けします”の洒落だそうです。

竜吐水(りゅうとすい)
 放水すると竜が水を吐く姿にみえるのでこの名がついたという、手押しポンプ。1626年ごろ、江戸と長崎でつくられ、オランダ人の設計になるといわれる。放水は10mぐらい。

玄蕃桶(げんばおけ)
 ポンプに水を運ぶ桶。
水車樋(すいしゃとい)井戸から水くむ桶。
天水桶 町すじに備えつけてある防火用水。
高張提燈(たかはりじょうちん)まとい同様に組の目印として夜間使われた。

明治時代の消防 P6〜P11

昔の消防今の消防付録02.jpg火消から消防組に変わり、火消は消防手となり、洋服を着てヒゲをはやした。1870年、イギリスのシャンドメーソン社から、手押しポンプ車4台、馬引き蒸気ポンプ車1台をはじめて輸入。1875年、フランスからイギリス製の手押しポンプ車9台を輸入し、これを甲号ポンプ、またはフランス型ポンプと呼んだ。翌年、これを模して市原ポンプ製作所で国産化し量産した。放水は27m。1888年、水道のできた横浜市に、日本ではじめて消火栓ができた。

蒸気ポンプ車 まきか石炭を燃やして湯をわかし、その蒸気の圧力でピストン式ポンプを動かして、吸水、放水をした。手引き車はかじ棒に綱をつけて、数人で引っ張った。(P6の車は、1909年にシャンドメーソン社から輸入した)また馬引き車は1〜3頭立てで走り、1899年に市原ポンプ製作所で、シャンドメーソン社製を模作国産化し、量産した。(P8の車は、模作1号車)放水は45m。この2台の蒸気ポンプ車は東京消防庁PRセンターに保存されている。
昔の消防今の消防付録03.jpg1911年に大阪府がベンツのポンプ自動車をドイツから輸入している。おそらくこれが日本最初の消防自動車でしょう。しかし、資料がなく絵になりませんでした。一昨年の春。岩手の水沢市にベンツの古いポンプ自動車があると聞いて取材に行きました。これは1924年、水沢市が大阪森田ポンプに依頼し輸入したもので、胆沢地区消防組合の消防記念館に保存されています。4月22日の火防(ひぶせ)祭のパレードに出場し、堂々と走っていました。(折り込み表紙のカットの車)日本最初の消防自動車はこれと同じ車か、これにちかい車だったのではと思いますが、確証する資料がありません。
馬引き救助はしご車 3、4階建の家ができて、人命救助のためはしご車が必要になり、1903年にドイツのリーブ社より輸入した。

大正時代の消防 P12〜P15

消防出場信号機 P13の右書き看板のついた消防自動車通過信号は、1920年東京で消防署ちかくの交差点の電車用電柱につけられた。これは出動する消防自動車が混雑した道路をスムーズに通れるよう道をあけるようにと、500燭光の赤色電灯がつき、電鈴がなって知らせた。

ファーレン・フォックスのポンプ自動車 1924年アメリカから輸入。ポンプは蒸気ポンプ車と同じピストン式ポンプだが、動力は自動車のガソリンエンジンを利用した。
ダッジの水管自動車 らく車(ホース・カー)を運ぶ車で、1920年アメリカから輸入。
火災報知器 1920年東京に設置され、1972年廃止される。
ベンツのはしご自動車 1924年ドイツから輸入。
スタッツのポンプ自動車 1924年アメリカから輸入。ロータリーポンプの動力は車エンジン。

昭和時代の消防 P16〜P27

マキシムのポンプ車 1929年アメリカから輸入。ロータリー式ポンプ。
ダッジの照明車 1935年消防指令車としてアメリカから輸入した車を改装したもので、110ボルト、136アンペアの直流発電機1台、サーチライト500ワット三脚つきを2個、250ワット移動式を2個つんでいる。
ニッサンポンプ車 1941年完成した国産車。ポンプはタービンポンプ。これ以後の消防車はほとんどがタービンポンプを備えている。戦後の小型ポンプ車や救急車、高圧ポンプ車、はしご車の細かい活躍状況は、絵本「しょうぼうじどうしゃじぷた」を、それ以後の車については、ペーパーバック絵本「はたらくじとどうしゃ・4」(いずれも福音館書店発行)をご覧下さい。
耐煙救出車・モグラ 昨年8月、大阪市北消防署で取材した車で、レーダーと触知装置を持ち、濃煙の暗がりの中で自由に行動でき、超低圧の特殊タイヤが左右に12個ついており、階段の上がり下りは自由。動力はバッテリー電源とし、1回の充電で8km走行できる。定員5名。被災者に酸素を供給するポンベ(150kg)4本を積載している。
最近の火災は、新建材による有毒ガスの発生など複雑な様相を呈してきています。これからの消火活動もそれにみあったもの、ロボットやヘリコプターなどよよる消火になるでしょう。

「かがくのとも1月号(1981) 通巻142号 むかしのしょうぼう いまのしょうぼう 折り込みふろく」より

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