でんしゃがはしる

『とらっく とらっく とらっく』

とらっくとらっくとらっくold.jpgこどものとも235号【10】「くいしんぼうのあおむしくん」(文:槇ひろし 絵:前川欣三)の付録”絵本のたのしみ”に、山本忠敬自身の絵本論が、この『とらっく とらっく とらっく』を例に論じられています。 以下に、その全文を紹介します。

物語絵本の構成・デザイン的考察

山本忠敬(デザイナー)

絵本の絵はさし絵ではない。ということは、絵本の絵はどんな立派な画家が描いたよい絵画であっても、その一枚一枚の絵が独立静止していては、絵本の絵として価値はなく、単なる物語のさし絵であり、それはさし絵のたくさんある物語の本であって絵本ではない。
物語絵本の絵は、個々の絵が、それぞれに時間的なつながりを持ち、一つの絵と一つの絵との空間に新しい動きが生まれ、動きがあるからそこに生命が生まれて初めて物語が展開される。

だから、極言すれば、絵本の絵はその一枚一枚を取り出して見たときは無価値である。しかし、一つ一つの絵が立派な絵画であることはもちろん、しかもそれぞれが時間的流動によって結びつき、物語ることば(文章)と一体となって、一つの概念の流動を、そのまま造形的に表現されれば、それは絵本が立派な新しい造形芸術の一つのジャンルであるといえる。

物語るということ、それは観念の流動であり、観念の流動はことばの活動、すなわち話すことである。だから、物語絵本の絵は一枚の絵としては絵の単独存在価値はなく、物語(ことば)と協同することによって、初めて時間的に存在価値が生まれる。このように考えてくると、物語絵本の形成は、日本の古い芸術、絵巻物(「源氏物語絵巻」、「鳥獣戯画」、「信貴山縁起絵巻」など)とか「洛中洛外図」とか、また旅の見聞記の「風景図巻」や「名所図絵」などと相通じている。このことは、これらの古い絵本と絵本の絵との時間的表現のつながりを、個々の絵について具体的に分析すると明瞭である。
また、これは映画の構成にも似ている。動かない一つ一つの絵(写真)をつなげることによって一つの動き−映画の場合は物理的動きであるが−を表現し、その動くショットをつぎ重ねることによって、時間的流動が生まれて、物語を構成している。

さらに絵本の場合は、絵がページによって区切られていて、そのページをめくることによって見る者が直接、物語の進行に参画しているということである。

このような物語絵本の心をふまえて、「こどものとも傑作集」の中の、渡辺茂男作・山本忠敬絵「とらっく とらっく とらっく」の構成を分析してみよう。
この物語はまことに単純明解、港で荷物を積んで一日中走りつづけて、街にはこぶトラックの話あである。だからこの”動”の世界、トラックのスピード感を視覚化することに専念した。そのため、背景は出来る限り省略し、色彩を殺して時間的流動の表現のみにとどめた。
また、編集者松居直氏の英断で、本を横長にし、主題を左から右へグングンと走らせることにした。この本の形体は、走るということを通じて、その観念の流動を強調する造形構造上の重要な要素となったのである。
余談になるが、この取材のため、僕は東京と志賀高原のあいだをドライブして、8ミリを回しっぱなしにした。この映画をうちのかみさんに見せたら、半分も見ないうちに乗り物酔いを起こして半日寝込んでしまった。
プロローグの2、3ページは主役の紹介である。中央に走るトラックのアップをデンとおき、荷台のホロが画面にはみ出している。これは二つの画面構成上の理由がある。その一つは主役の上部が画面をはみ出しちょん切られていると視覚的につり上げられているような錯覚を起こす。これはトラックが地面をけってスピードを出して走っている姿である。しかも視線の重点はトラックの下方(画面では中央に近いところ)の回っている(走る)車におかれて、トラックが走っている感覚とスピード感が強調されるのである。もう一つは、トラックの後方の荷を積んできた港、すなわち過ぎてきた過去と、トラックの前方のこれから走っていく街と道路と山とその先のいずれ到着するであろう見えない街(この物語での終局)への暗示、すなわち未来とに二分されているのである。
この次元の異なる世界を少しの不自然さもなく一場面に同時表現することによって動きが起こり、3ページから次の画面、4ページの高速道路へと観念の流動が生まれるのである。
この異次元の世界を一場面に同時表現する画面構成は「餓鬼草紙」などの絵巻物で観念の流動の視覚化にしばしば使われているのである。
4、5ページ。朝日の昇る高速道路をつっ走るトラック。(この昇る朝日、太陽はこのあとしばしば登場し、月にバトンタッチするが、この物語の時間的経過の根回し役である。)5ページ右上の工事中の標識は次ページへの暗示であり、そのまま6ページ左上の工事現場につながり、走ってきたトラックの行く手をふさぐように工事現場が7ページの右下へと画面にクロスしている。主役が6ページ左下にちょっと頭を出しとまどっている。これは一つの事件である。走ることが主題のこの物語では「徐行」「止まる」ということは事件なのである。この事件の積み重ねで息もつかせず大団円へもっていくのがこの物語の実にうまいところである。

紙数がないので個々の構成の分析は省略して特殊な構成部分のみを分析しよう。

12、13ページはこの物語の最大の山場の事件場面である。画面一杯に今までとは逆方向に右から左へと走る消防車のアップは左から右へと走る主題の切断による事件の強調である。次の14ページの左画面外に車台の後部をはみ出させちょん切られたトラックは、ちょん切られた見えない空間を走りつづけてきたという時間的経過の拡大であり、その概念の流動の視覚化表現である。この画面構成のちょん切りの手法は広重の「江戸名所百景」でしばしば使われている。
また、16、17ページの見開きの一場面では、現実の視覚世界ではありえないことなのであるが、左下中央と右上端とに主役のトラックが二つ存在しているのである。これも絵巻物の中でよく使われている運動の視覚表現である。

よい物語絵本にはこの上さらに充分に計算された色彩構成もされているのである。



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